【プロ漫画家インタビュー】一色登希彦先生

お知らせ
2010.11.10

一色登希彦先生インタビュー
「1000ページの完成原稿を描いてプロになる」

(インタビュー・編集:菊池 2010/11/10)

一色登希彦先生 東京都出身。
1993年『少年サンデー特別増刊R』(小学館)にて『最強ロボ・ゴンタ2号』でデビュー。
師匠は細野不二彦。藤田和日郎を敬愛する作家の一人として挙げている。(wikipedia)

代表作『ダービージョッキー』
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小学館 週刊ヤングサンデー 1999~2004年連載:単行本全22巻

『日本沈没』
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小学館 ビックコミックスピリッツ 2006年~2009年連載:単行本全15巻

Q:一色先生はご自身のBlog「漫画家のなり方」の中で「とにかく1,000ページの漫画を描いて下さい。そうすれば絶対に漫画家になれます。以上。」と、思い切り良く描かれていますね。(アトリエモーティヴ「漫画家のなり方」)この点について、もう少し聞かせていただけますか?
A:えぇ、でも、言いたいことはほとんどBlogのほうに書いてしまいました(笑)プロでも1,000ページ描くというのは大変なことです。週刊誌に連載をしている人でも約1年かかり、単行本で言えば約5冊分です。全くの初心者から漫画を始めたとすると、1日に1ページとしても3年はかかると思います。本当にそれだけ描くとなると、その間に自分自身を掘り下げる作業が繰り返し行われ、描いたものを編集者さんなどに見せれば、落ち込むこともあるでしょう。それでも1,000ページまで続けられれば、プロになれるということです。1,000ページに科学的根拠はありませんが、ただ、例えば10,000ページだと多すぎ、100ページだと少なすぎます。そういう意味でも妥当な分量だと思うのです。多くの漫画家志望者を見てきましたが、結局のところ、「描いた人間は残り、描かない人間は消えていきました。」これが真実だと思います。

 

Q:その初心者がイチから始めた場合、1000ページ描くにあたり気をつけることはありますか?
A:例えば、私のところで専任アシスタントをしてもらう方については、私の仕事を手伝うことに加え、月に2本はネームを描いて、担当の編集さんなどに持ち込むことを勧めています。自分も経験がありますが、人の手伝いをするというのは色々と気も使うし大変で、消耗するのですよね。それでも、どんどん出すことによって成長していくことが必要ですし、そうしないと本来漫画家志望者であるはずのアシスタントさんたちも、自分の作品を描かなくなり、作家としてのレベルが上がりません。少なくとも、自分が関わるアシスタントさんたちにはそうしてレベルを上げて欲しいと思っていますし、ともかく、持ち込むなりしてプロの目に自分の作品をさらすことだと思います。

 

Q:トキワ荘プロジェクトにいる漫画家志望者たちに、何かアドバイスをいただけますか。
A:今は、漫画を描くにもアシスタントをするにも、色々と環境が変わってきました。うちのアシスタントさんにも、デジアシ(*)はいますし、私自身、海外に移住して漫画を描いても、最初の打合せさえしっかり日本で対面して行えば、あとは、メールやファイル送付サービス、スカイプ等があれば、日本に向けて漫画を描くことは、問題がないと思っています。そんな中でもトキワ荘プロジェクトに参加する条件として、目標を決めて進退の覚悟をして一時期を過ごすのは、非常に貴重な経験が出来ますし、漫画家として育つチャンスになるかと思います。あと、佐藤秀峰さんに協力する形で関わっている「漫画onWeb」では、1つのお題に対して、プロもアマチュアも、勿論漫画家志望者も参加できる「ネーム対決」をしています。漫画onWeb: 第7回ネーム対決

同じお題について無記名でネーム力だけの対決をするという、電子書籍時代ならではの企画で、これも話作りの実力を上げられるチャンスです。こういう機会に参加して力をつけていくのも良いでしょう。トキワ荘プロジェクトの若手漫画家の方の挑戦も、場が盛り上がると思いますし、ご本人にとっても良い勉強になりと思いますので、大歓迎します。一緒にネーム作りをしましょう。
(*):漫画作成現場にいなくとも、ネットを通じ自宅などで作業をしてアシスタントの手伝いをする人

 

・編集後記:上記の話の他にも、電子書籍や漫画家の海外移住のことなど、面白いお話を沢山させていただきましたが、今回は漫画家育成とトキワ荘プロジェクトのことに絞りこんで掲載させていただきました。
一色先生、ありがとうございました!