「編集者はラリーで言うナビゲーターで、命を預ける存在、簡単に変えないで欲しい。」編集長の部屋(8)前編:コミックビーム 岩井好典編集長
「編集長の部屋」コーナー8人目は、コミックビーム (以降ビーム)編集長、岩井好典さんです。岩井編集長は、私がこの仕事を初めて、最初にお会いしたマンガ編集者さんで、以来数年、地元が近いなどと言う事もあり、なにかとお世話になっています。伝説の編集長のお話から最新の電子コミックの事情まで、多岐にわたるお話になっています。
毎月雑誌だけで多くて月8回くらい校了がある、大変な編集部でしたね。
―― まず岩井さんのこれまでの編集者人生をお聞かせください。
平成元年に大学を卒業して秋田書店に入社し、チャンピオン編集部に配属されました。この年の初めに手塚治虫先生が亡くなっていますから、仕事をご一緒することが出来なかったことは、今でも残念です。
当時のチャンピオン編集部は、一編集部で週刊少年チャンピオンと月刊少年チャンピオンと隔週のヤングチャンピオンを作っていました。毎月雑誌だけで多くて月8回くらい校了がある、大変な編集部でしたね。
―― 凄いですね、何人でまわしていたのですか。
20人ほどいたと思います。
入社して2年ほどのころに、編集部が、週刊少年チャンピオン、月刊少年チャンピオン、隔週のヤングチャンピオンの3つに別れました。僕はヤングチャンピオンの配属になって、同期の沢(現週刊少年チャンピオン編集長)は週刊少年チャンピオンに、当時僕や沢くんのすぐ上の先輩だった奥村(現コミックビーム編集総長)は月刊少年チャンピオンの配属になりました。結局、僕は秋田書店に足掛け7年いたのかな。
――その時期、有名な伝説の編集長、壁村耐三編集長はいらしたのですか。
僕が入社した時の編集長が壁さんでした。壁村さんが編集長を離れて局長になるタイミングで、チャンピオン編集部を3つに割ったわけです。ですから、昔風の言い方をすれば壁村耐三の薫陶を直接うけた最後の世代に、僕とか沢くんはなると思うんです。
[引用:『ブラック・ジャック創作秘話 ~手塚治虫の仕事場から~』(少年チャンピオン・コミックス)] 岩井編集長は、伝説の編集者壁村耐三さんの現役時代を知る最後の世代になる。
―― 入社7年後に退職され、そのままビームに移ったという事になりますか。
いえ、僕は一回サラリーマンを辞めてアメリカに渡りました。なんだかかっこよく聞こえるから嫌なのですが、ニューヨーク大学で2年ちょっと勉強をしていました。結局、卒業まではしませんでしたから、「留学」よりも「遊学」というのが正しいでしょうね。
なんか勘違いされることが多いのですが、MBAを取っていたとかでは全然なくて(笑)、とにかく映画の勉強がしたかったのですね。NY大学はマーティン・スコセッシとか著名な監督が学んでいたところなので、そこで映画の勉強をしました。映画関係の仕事に就くつもりはあまりなかったので、これはあくまでマンガの為にです。それに、僕はアメリカ文化に憧れがあって、アメリカで暮らしてみたかったのですね。
当時、ロジャー・コーマンがNY大学に教えにくるとアナウンスされて、僕も喜んで授業に登録したんですね。結局、コーマンの都合でキャンセルされたんですが、その中に「吸血鬼映画の歴史」という講義があって、代わりに講師をしに来たのがスティーブン・キングで(笑)。さすがにニューヨークというか、向こうの暮らしはとても面白かったです。
2年ほどNY大学で学んだタイミングで、今のビームの編集総長である奥村から「今度編集長になるので、ちょっと岩井手伝わないか」と声がかかりました。それで帰国し、1997年7月に当時のアスキー(現KADOKAWA エンターブレイン)に入社しました。
―― それが、長く続くビームの奥村・岩井体制になるわけですが、奥村さんと岩井さんの仕事上の関係はどんな形だったのですか?
奥村は、かなり特殊な人物ですよね。編集者として、良く言えば天才、悪く言えば「天然」な人なので、サラリーマンとしては、まあ、こうなんというかいろいろと、えー…。
―― つ、つまり破天荒なんですね(笑)、その奥村さんは、どんな作品に携わったのですか。
多くの担当をなさってきましたが、やっぱり代表は桜玉吉さんじゃないですか。ご本人が作中にたびたび登場しますし。奥村さんと玉さんは、お互いをソウルメイトと認め合っているのでしょう(笑)。他にも、今『SCATTER』を連載していただいている新井英樹さん。新井さんの『ザ・ワールド・イズ・マイン』の復刻(『真説ザ・ワールド・イズ・マイン』)は、奥村さんのキャリアの中でも大きな仕事ですよね。
―― 2013年7月に、岩井さんが編集長になられて、何か変わりましたか。
あまり変わりません(笑)。
立場が編集長になっても、やっている仕事はあまり変わらないので。担当も今でも持っていますし。
―― 今何人の編集者がいらっしゃるのですか?
会社のシステム的には奥村は編集者としてカウントされていないので4名、奥村を入れても5名ですね。
編集者はラリーで言うナビゲーターで、命を預ける存在、簡単に変えないで欲しい。
―― これまで印象に残っている作家さんといえば、どなたでしょうか。
キャリアの初期にお世話になったということでは、村生ミオさんですね。村生さんは「自分は流行作家だ。雑誌で人気が取れなかったら意味がない。必ず雑誌で一位を取れるような作品にしたい」といつもおっしゃっていて、とても真面目なんですよ。それに、すごく編集の意見を聞くんです。例えば「今どんな小説が面白いか」とかマメにお訊きになる。僕が「この小説が良いですよ」と話すと、村生さんは、次の打ち合わせまでにちゃんと読んでるんですよ。それで、それについて話をする。きちっと面白いものを作るための「ガソリン」を入れ続けている漫画家さんで、一緒に仕事をさせていただいて、本当に勉強になりました。今も、年に数回ですがご挨拶にうかがうと、「なんか良い映画ない?」と訊かれます。
マンガの技術的な話では、村生さんは「大切なのはヤマと引きだ」といつもおっしゃいました。人気を取るためには、一話のなかに必ず緊張感のある山場のシーンを入れて、そのピークを見開きの絵柄にしてインパクトをつける。そして、引きを強くするために一話のラストを、印象に残るように工夫する。この2点については、徹底的に打ち合わせをしました。
―― 以前岩井さんが、トキワ荘PJの講習会で「漫画にはタネも仕掛けもあります。ないと駄目です」とおっしゃていて、印象に残っています。
その言葉は、松本大洋さんがインタビューでおっしゃっていたことで、本当にそうだと思います。例えば、石ノ森章太郎さんの『漫画家入門』を読んでも、本質的には同じことをおっしゃっていますよね。
―― 編集者の仕事とは、どんな仕事だと思われますか。
新人については、ボクサーとトレーナーの関係に近いかなと思います。ボクシングでは、リングで試合をするのはボクサー自身です。トレーナーは、そのボクサーの資質やウィーク/ストロングポイントを見極め、適切な戦略を与え、効果的なトレーニングのロードマップを切っていく。そういう関係ではないでしょうか。
それが、作家のキャリアが上がってくると、ピッチャーとキャッチャーみたいな関係になってくるのかな、と思いますね。
―― 新人の場合はリードするよりも、成長させていくことに重きを置いているわけですね
大切なのは、その人がどういうルートで成長していくのか、ですね。誰でも得意不得意はあって、接近戦が得意なのか距離を取るタイプなのか、それぞれで個性は違いますから。「パンチはないけど、フットワークがいいよ」と励ましたり、その新人の個性に合ったアドバイスをすることが大切です。
――編集者にとって一番の仕事はなんだと思いますか。
どうなんでしょう…。今は、マンガの編集というものの在り方が、すごく難しくなってきていますね。
昔は、こんなに一般の人たちがマンガを読まなくなる日が来るなんて、思ってもいなかったんですよね。だから、新人に「夢に青春をかけてみなさい。5年10年下積みをして」と声をかけられたのですが、今は5年後10年後にマンガがどうなっているか想像がつかないので、気軽にそういう話も出来ません。
松本大洋さんは、「編集者はラリーで言うナビゲーターで、ドライバーである漫画家からすると、命を預ける存在、簡単に変えないで欲しい」とおっしゃっていました。編集者が、道を示すナビゲーターであるということは確かなんですが、最近は、かつて信じられた未来に続くマンガの太い道が見えなくなってしまっていて、ナビゲートすることが本当に難しいです。
編集としてキャリアを積めば積むほど思うのは、身も蓋もないですが、この仕事はつくづく「出会いの運と縁」が大事だな、と。出会う運を上げるためには、機会を増やすことも大切ですが、ただ誰彼かまわず名刺交換していてもしょうがなくて、良き縁を探し、結んで、育てていくことが本当に大切だと思います。
<前編ここまで>
インタビュー・ライティング:トキワ荘プロジェクト 菊池、番野
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