甲斐谷荘で『捨てる』ことを決意し掴んだ、プロデビューと連載までの道のり

参加者の声

プロマンガ家である甲斐谷忍先生から直接の指導が受けられるメンター付きの「甲斐谷荘」でマンガ家を志し、挫折を繰り返しながらも甲斐谷荘に望みをかけ、デビューから現在の連載を掴んだ「物語」です。

織田一輝さん
トキワ荘PJ卒業生
2017年12月、第81回小学館新人コミック大賞児童部門で入選。 2022年6月現在、『秘密結社ヤルミナティー』を別冊コロコロコミックにて連載中。 2022年8月『秘密結社ヤルミナティー』1巻発売。

Story1:僕がマンガ家を目指したわけ


── 織田さんが、トキワ荘プロジェクトの「甲斐谷荘」への参加を決めた理由を教えてください。

もう自分の力だけでは上にいけないと思ったからです。

── 「上」とは、具体的に何を目指していたんですか?また、なぜ強い思いでマンガ家になりたかったのか聞かせてください。

上というのは『大きい新人賞を獲ってデビュー、連載作家』までを指します。
その時の自分の段階では最終候補ぐらいだったので…そういう意味で「上にいけないな」と思ってました。

マンガ家になりたいと思ったのは、自分の中で「面白い人」イコール「カッコいい人」という定義があって、自分の中で面白いものはマンガだったのでマンガ家になろうかなと。

カッコいい職業に憧れたってことですね。

── 一番初めにマンガ家になりたい、つまり「カッコいい」を求めたのはいつ頃ですか

幼稚園ぐらいだったと思います。

ちょうどテレビで、リメイク版のドクタースランプをやっていたんですよ。

ドラゴンボールZGTのあとに、ワンピースが始まるまでの一年ですね。それがもう、めっちゃくちゃ面白かったんですよ。楽しみで楽しみで。

で、これって元々マンガなんだってことを親戚から教えてもらって。「ああ〜こういうこと作れる人いるんだ。カッコいいな!」って思いました。

── 影響を受けた作品や作家さんはありますか?

一番は『ドクタースランプ』の鳥山明さんですね。
ドラゴンボールもドクタースランプと同じぐらい好きで…異世界に連れて行ってくれたといいますか。

僕は昔も今も田舎に住んでまして、エンタメがなかったんですよね。市内で遊ぶといったら、イオンにあるゲームセンターとカラオケ屋さんぐらいで。全然遊ぶところないんですよ。

で、外には刺激がなかったんですけど家に帰ったらドラゴンボールのマンガやアニメを見て「なんなんだ、この世界は!」みたいな面白さで!もちろん、孫悟空みたいなキャラクターは僕の周りにはいないから。笑

だから、このエンタメに触れていたいなって思いました。

それから、ドラマ化してるマンガが面白いなって高校生ぐらいから思いまして。「こんなにマンガ原作のものがある」って知らなかったんですよ。

例えば、『アオハライド』とかもマンガ原作ですし、甲斐谷さんの『ライアーゲーム』もマンガ原作ですし。ドラマ化できる作家さんがカッコいいな!と思って、甲斐谷さんはカッコいいなって思ってました。甲斐谷荘に入ってからは影響受けましたけど、入る前は「カッコいい人」でしたね。

3人目は雷句誠(らいくまこと)さんの『金色のガッシュ!!』。これ、小学生の時に衝撃を受けまして。僕、小学校6年生までコロコロコミック買ってたんですけど、サンデーをガッシュ目当てで買うようになりました。

なので、影響を受けた作家は鳥山明さん、甲斐谷さん、雷句誠さんですかね。

── 織田さんが甲斐谷荘に参加するにあたって、甲斐谷先生から「学びたい」と思っていたことは具体的にどんなことがありますか?

入る前は、まず「何が足りないか」を一番知りたかったですね。

賞を獲れないにしても、もうちょっとで獲れると全然獲れないではだいぶ違いますよね。自分がどこにいるかも分かりませんでしたし。それを知りたかったです。

あとは、売れてる作家さんから売れるような秘訣を知りたいなって。プロに聞かないと分からないことは多いと思います。

甲斐谷荘とは

経験豊富な漫画家をメンターとして迎え、定期的な面談と指導を受けられるのが甲斐谷荘。 甲斐谷荘では参加者全員が月に1度、甲斐谷忍先生から指導を受けられます。
甲斐谷荘に関する詳細はこちらから ≫

甲斐谷荘とは

経験豊富な漫画家をメンターとして迎え、定期的な面談と指導を受けられるのが甲斐谷荘。 甲斐谷荘では参加者全員が月に1度、甲斐谷忍先生から指導を受けられます。
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── 甲斐谷荘はシェアハウスなのでコミュニティの中に入るということになりますが、そこに対しての期待や不安はありましたか?

甲斐谷荘に入る前に新聞のアルバイトをしいたんですが、そこは1階にお店があって2階に学生や従業員が住むシェアハウスみたいになってました。2年間そこにいたので「できるかなー」って気持ちでしたね。

あと、マンガ描いてるってことはマンガが好きな人だと思うんで共通の趣味がある分、友だちにもなれるかもしれないと思ったんで、人間関係に不安っていうのはなかったですね。

でもまぁ文字の方が意思は伝えられるかなぁと思いましたね。喋るより。

── なるほど。文字があり絵がある、マンガ好きだからこそのコミュニケ―ションの取り方があったのかもしれませんね。

Story2:甲斐谷荘で『捨てる』ことを決意したきっかけ

── 甲斐谷荘に参加してからの生活を教えてください。

甲斐谷荘に参加してから、バイトのない日は主に図書館に行ってました。
愛宕駅の近くにある図書館がとっても好きで、マンガの資料とかもいっぱいあるんですよ。

みんなで何かするのも好きですけど、隠れ修行するために図書館に行ってました。朝10時から午後6時ぐらいまで。図書館に行って、お昼食べて、基本はネームやってましたね。

「あいついつも家おらんけどなにしとるんやろ?」と思わせておいて、実は図書館でネームを頑張ってまして「レベル上げてました!」っていう展開にしたいと思ってました。コソコソするのが結構好きなんで。笑

甲斐谷荘にいた時は、基本ネームって感じでしたね。

── それは甲斐谷先生の教えだったのでしょうか?「ネーム頑張ろうね」みたいな?

甲斐谷先生の教えですね。
話が前後しちゃうんですけど、僕は甲斐谷荘の途中から「ストーリーマンガを描きたい」って言ったんですね。それまではずっとギャグマンガを描いてまして。

でも、元々はストーリーマンガを描きたかったんですよ。あまり絵が上手じゃなかったんですけど…今もそんなに上手じゃないんですけど…。

出版社に持ち込んだ最初の頃は、僕は熱血ストーリーマンガを持ち込んだんですよ。それを見て「ああ、面白いね」って言ってもらえたんですけど「ここのギャグだけ面白いよ。他のストーリーは全然面白くないよ。ギャグマンガならなんとかなるよ」って編集者に言われて。

だから、ギャグマンガを書こうと思って甲斐谷荘に入っても最初ギャグマンガを描いてたんですけど、それでもずーっと落選していってですね。

本当に描きたいのはストーリーなのにギャグマンガ描いてて、それで落ちてというのが結構辛くて…甲斐谷さんに「やっぱりストーリーマンガを描きたいです」って言ったんですね。

甲斐谷さんは「ギャグとストーリーは描き方が異なるので、一から勉強することができますか? 今までのことを捨てることはできますか?」って言われたので、他の人よりも勉強することが多かったんですよね。ストーリー漫画を初めて描くということだったんで。

なので、その分ネーム期間が他の人よりも長かったと思います。だからこそ、図書館でネームばっかりやってたって感じなんです。

── 甲斐谷先生から「今までのことは全部捨てる」と言われた時に葛藤はありましたか?

なんかもう……8作ぐらいギャグマンガで落ちてたんですよ。だから、もうそろそろやめた方がいいかなって思った時もあったんですよ。目指さない方がいいのかな、とか。ちょうど23歳ぐらいだったと思うんですけど。

みんな23か4歳の時って、同級生の子が大学終わって就職する頃で。お盆とかお正月に会うと、経済的格差が明らかに分かるんですよ。回転寿司とか行っても、みんな400円とかの高い寿司食うけど、僕だけ100円、200円ぐらいしか食えないみたいな。

だから、この道を進んでていいのかなっていう思いがあって……。

ちょっと自分のギャグマンガにも限界を感じてて。最後にしよう!今度落ちたらやめようかなって感じだったんです。

ストーリーマンガをやりたいってことだったんで、勉強に対することのストレスはなかったです。むしろ面白かったですよ。

── 甲斐谷先生のひと言で覚悟は決まったのかもしれませんね。
やりたいことをやりましょうって、言ってくれたようなものでは?

はい、まさに。その通りです。

Story3:いつの間にか叶っていた「カッコいい自分」

── 織田さんには、甲斐谷荘のOBとして、これから甲斐谷荘に来るであろう人に、「こういうことが得られるよ」ということを伝えていただけないでしょうか?

ちょっと難しい質問ですけど……自分一人では気づけなかったことが、分かります

例えば心理学とか。(構図で)頭の位置をどこに描くかで上限関係が分かるとか。こういうことは教えてもらえることなので、才能のあるなしに関わらずできることだなあって思います。

── マンガを描く中で閃きもあるとは思うのですが、独学でやっていたら越えられない壁って出てくるんじゃないかなって思います。
今の話で、コミュニティだからこそ得られたような、甲斐谷先生から得られたことも多かったですか?

はい(しみじみ……)。

── 甲斐谷先生から教えてもらったことの中で、「このひと言で胸を射抜かれた」みたいな思い出のひと言があれば、ぜひ教えてください。

そうですね……。甲斐谷先生はその人の持っている「武器」みたいなものを教えてくれる人だと思っていて。もしかしたら自分の作品の武器を教えてもらえるかもしれないですね。

これが一番だと思います。

他の人は、「絵がうまいね」「キャラクターがいいね」「構成力あるね」「カメラアングルいいね」とか言われてる中で、甲斐谷先生に「織田君は、面白がり屋だね」って言われました。なんか、それでマンガの作り方が変わったと言いますか。

それまでは「何か面白いことないかな〜」って感じで過ごしてたんですね。良いアイディアが降ってこい!みたいな天任せだったんですけど、「面白がり屋だね」って言われてから、映画とかドラマとか見て、ここ面白いなって思うと、何で面白いのかってことを考えて自分のマンガの構成とかにも活かすようになったんです。だから、マンガづくりがとてもしやすくなったんですよね。

甲斐谷先生から「面白がり屋だね」って言葉を教えてもらったこと。

……これが一番ですかねぇ。

── 織田さんにとって「カッコいい人は面白い人」だという最初の話から考えると、 甲斐谷先生に「カッコいい人になってるぞ」って言われたようなものですね

おお……そうだ、ホントだ!

── 本当に織田さんは「カッコいい人」に向かって一直線だったってことですね。

めっちゃ照れますね。笑
ありがとうございます。

Story4:僕が児童マンガを目指すわけ 

織田さんデビュー作『悪魔の子育て』より

── 織田さんは甲斐谷荘にいた時に児童部門で入賞されました。その時がデビューといっていいのでしょうか?

デビューというのは「雑誌掲載」だと僕は聞いていました。
ぼくのデビューは、2018年コロコロコミック6月号ですね。※入賞発表は2017年12月。

── 甲斐谷先生に報告はされましたか?

もちろんですね!
甲斐谷さんはお昼にご家族でご飯に行かれてて。その時に小学館から電話がかかってきたんですね。で、「作品が賞に入りました」みたいな……。

そして、甲斐谷さんに「ちょっとお話ししたいことがあるんですけど、電話できませんか」ってTwitterにDMで送って。
で、帰ってきて「何ですか?」って言われて「入選しました」って。めちゃくちゃ喜んでくださって、その日は、甲斐谷さんが昔バイトしてたお店で2人でご飯を食べました。

── その先、甲斐谷荘を出るわけですが、そのあとの目標などはどのようなものだったのでしょうか?

甲斐谷荘の提議的には「担当さんが付くまでは僕が担当です」って甲斐谷さんがずっと言って下さってたんですね。

賞をとるまでは、持ち込みの窓口で見てくれる人はいましたが担当はいませんでした。賞をとったことで担当が付いたので、この人とマンガを描いていこうと思って甲斐谷荘を出ました。

── 「こんなマンガ家になろう!」といった野望は抱きましたか?

甲斐谷荘を出る時から今までですけど、児童マンガで売れたいなって感じですかね。
甲斐谷荘で良かったことは、マンガって描く人の好きなことが表れていくんですよ。
現に甲斐谷荘で結果をだした人の漫画は、その作者の性格や趣味が反映されている事が多かったです。

『ああ、あの人だからこそ、こんな漫画が生まれるよな。すごいな。』みたいな。
自分の好きとマンガの傾向はリンクすると思いました。

僕は周りから結構「幼稚だね〜」と言われたんですよね。妖怪ウォッチとかポケモンとかずっと好きなんですよ。ポケモンとか幼稚園の時に始まって、今でも毎週アニメ見てるんですよ。笑

そういう、小学生が好きなものが好きで、僕自身中学生になる時に、もっとベイブレードとか遊戯王とかしたかったんですけど、中学でこれをやる度胸はないなと。みんなにあわせてやめましたけど、心はずっと子どものままで。

これって、児童マンガを描く人にとっては能力だと思っていて。他の人よりも僕は児童分野が好きだから、勝負するなら児童マンガだと思っていて、これからも児童マンガで頑張ろうって思います!

epilogue

── 最後の質問にしたいと思います。
これからトキワ荘プロジェクト、あるいは甲斐谷荘に参加したいという人たちに対して、OBとしてメッセージをお願いします。

甲斐谷荘という同じハウスの人達とは仲間意識が自然とできると思うんですが、志望雑誌で自分がうまくいかない時に他の作家さんを妬んだりマイナスの感情を持つのは、自分にもマイナスでしかないと思います。

多分ですけど、甲斐谷荘に入って担当さんがついてまずは新人賞を目指そうってことになると思います。新人賞で落選した時に、他の受賞作が掲載されることは多いと思うんです。

そういうのを、「あ~見れない、見れない!」ってなっちゃう人は多いと思うんですけど、それって自分にとってマイナスというか、むしろ「ここは僕よりすごいからパクろう・真似てみよう」と思う方が自分の為だと思います。

良い所は人から盗んでもいいと思うけど、自分よりもうまくいってる人に対して「人は人!僕は僕!」と考えた方が、良いマンガが描けるんじゃないかなと思います。

── 織田さん、本日はありがとうございました!
織田さんの歩んできたマンガ道・時には人生論も聞くことができました。
いつの間にか「なりたい自分=カッコいい人」になっていた織田さん。これからますますの「面白い」ご活躍を応援しています! 

甲斐谷先生から「織田さんへのメッセージ」をいただきました。

最初に織田君のネームを見たとき、「笑いのセンスを持ってる人だなあ」と思ったことはよく覚えています。それだけではなく、面談を重ねていくうちに「この人は優秀な漫画読者だなあ」とも思いました。

甲斐谷荘ではつねづね「商業漫画を描くならば、描きたい漫画を描くのではなく、読みたい漫画を描くように」といっているのですが、「優秀な読者」であることは、プロ漫画家になるにはとても大きな武器になります。

ギャグ漫画の道をいったん休んでストーリー漫画で出直す決心をし、それで結果を出したのですから、やはり力はあったんですね。その後も作品を見るたびに前作を必ず超えてくるのでまだまだ成長期。これからがとても楽しみです

最初に織田君のネームを見たとき、「笑いのセンスを持ってる人だなあ」と思ったことはよく覚えています。それだけではなく、面談を重ねていくうちに「この人は優秀な漫画読者だなあ」とも思いました。

甲斐谷荘ではつねづね「商業漫画を描くならば、描きたい漫画を描くのではなく、読みたい漫画を描くように」といっているのですが、「優秀な読者」であることは、プロ漫画家になるにはとても大きな武器になります。

ギャグ漫画の道をいったん休んでストーリー漫画で出直す決心をし、それで結果を出したのですから、やはり力はあったんですね。その後も作品を見るたびに前作を必ず超えてくるのでまだまだ成長期。これからがとても楽しみです

今回のインタビューがきっかけとなった、織田さん描き下ろしのエッセイがTwitterで見られます。こちらも是非ご覧ください。

2022年8月16日

織田一輝さん
2022年6月現在、『秘密結社ヤルミナティー』を別冊コロコロコミックにて連載中。 2022年8月『秘密結社ヤルミナティー』1巻発売。